<2015年12月1日~4日掲載>

小金井市の市民参加の問題点

小金井市では市民参加条例もあり、各審議会に市民も参加しています。

一方市民参加が形骸化しているという声も聞かれます。

そもそも市民参加がなぜ必要なのか?というお話です。

(住民参加は多くの意義・側面を持ちます。今日の話題はごく一部とお考えください。)

「市民参加とか市民協働っていうけど、そんなの必要なのかね。

 行政がちゃんと仕事をすれば何も問題ないだろ。」

 「ちゃんと仕事をするってどういうこと?」

「住民の満足のいくサービスを提供することかな。」

 「住民の意見を聞かずに満足を高められると思うかい?」

「そりゃ、行政マンはプロだし、大元の政策は国や都の専門の人が作っているから

 それをしっかり実行していけばいいんじゃないかな。」

 「行政はプロでよく知っていて、住民は素人でよく知らないから行政のいうことを

  聞いていればよいということ?」

「素人が判断するよりマシじゃないか。」

 「でも行政の人は2~3年でローテーションするから専門というよりジェネラリスト

  だし、専門的なことはほとんど委託している。逆に市民の中にはそういう仕事を

  しているプロもいる。」

「確かに、行政だからプロとは限らないか。」

 「行政は縦割りになっているから、その部分から考えるけど、住民は生活を

  総合的にとらえた視点から見ている。」

「ふーん。なるほど。」

 「そもそも、国が全部を決める時代じゃない。多くの計画は市町村が作るべきと

  いうことになっている。それは国が一律に決めるのではなく、地域に則した

  あり方が必要だということさ。」

「つまり、行政から一方的に決めるのではなく、住民の意見を入れることが

 住民の満足を得るためには必要ということか。」

 「さらにいうと、行政が作ったものに意見を述べるだけでなく、行政と一緒に

  計画を作ったりするようなこともある。これを市民協働というんだ。」

「なるほど。」

 「ところが、小金井市はこれが形骸化していると言われています。

   これについてはまた。」

「小金井市の市民参加は形骸化しているっていうけどどういうこと?」

 「例えば、会社で弁当が支給されるとします。前日に献立が示されて意見をいうことが

  できます。」

「トマトは苦手だからきゅうりにしてほしいとかな。」

 「ところが、一度も意見で献立が変わったことはありません。逆に仕入れができなか

  ったとか言って急に材料が変わったりします。」

「なんじゃそりゃ。意見をいう意味がないじゃん。」

 「意見をいっても、『これが一番良いと考えます。』『それはもう仕入れてしまいま

  した』とかいうコメントが返ってくるだけで意見は反映されません。

  市民参加がこんな感じになっていると形骸化と呼ばれます。」

「そりゃ極端だろうよ。」

 「小金井市には市民参加条例があります。その考え方についても記載されています。

  小金井市市民参加条例の手引にはいいことがいっぱい書いてあります。

  なぜ市民参加が必要なのかはそっちの方を読んだほうがよいかも。」 

「じゃあ、クマは帰っていいよ。」

 「まあそう言わず。第4条の説明で、市は市民に対して適切な時期に市民がその施策

  について考える上で必要なことをわかりやすく説明すること、そしてそれは

  市の意思決定の前に行われるべきと書いています。」

「つまり?」

 「弁当のメニューが決まってもう準備もできてから意見を聞くんじゃなくて、メニュー

  を作る前に聞くようなものだね。」

「当たり前じゃないか。」

 「ところが、例えば第二地区の再開発では、都市計画決定前に法律で定められている

  最低限の説明会しかやらなかった。しかも、多くの人が質問を負えないうちに強制

  終了で、それ以上の意見を聞かなかったんだ。

  その時が市民に説明があった初めての場面でかつ、その案を変えるつもりは

  市には全くなかったんだ。」

「そりゃいかん。」

 「あと、学童保育の委託についても、組合と決めた後でおもむろに決まったこととして

  市民に説明するとか。一応市民が参加する形を取るものの、はっきりいって意見を

  聞くつもりなどまるでない。ということが頻発しているんだ。」

「なるほど、形骸化の意味はわかってきたけど、市民の意見を聞くといってもね。」

「おい、きみきみ!」

 「あ、カエル先生!」

「困るなあ。市民はただのお客さんじゃないんだよ。」

「市民はただのお客さんじゃないんだよ。」

「どういうこと?」

「行政サービスを弁当に例えていたけど、それじゃ市民はただのお客さんだ。」

「そこから聞いてたんですか!」

「これからの行政はむしろバーベキューに近い。」

「肉が多くなるのか。」「ちがうわ!」

「行政は作る人、市民は食べる人というだけの関係ではない。

 行政も市民も一緒に作るということだ。」

「役人は給料をもらっているんだから、市民に作らせるのはおかしいのでは。」

「確かに安上がりな労働力として市民協働が使われることがママある。

 本当は知恵を一緒に出して計画段階から協力していくのが市民協働。」

「バーベキューはみんなで作るから美味しいというわけですね。」

「確かに、自分で参加し、知恵を出すと愛着が増すしな。」

「本当は予算も一緒に考えないといけない。 行政サービスでは忘れがちになるが、

 結局は市民が負担するもの。そこまで含めた協働ができればよいのだが。」

「小金井の協働はまだまだということですね。」

「江戸時代や堯帝の時代じゃないのだから『由らしむべし知らしむべからず』

 というのは200年ずれている。小金井市民は知恵も力もある。

 職員だけが頑張るのではなく、市民の力を引き出すことが大事なんだ。」